■プロローグ
新しい年の朝光は眩しく、晴天を予感させる。
下ろしたての白い割烹着姿のハジメ・サイトーは、庭と台所を忙しなく行き来し働いていた。
そう、今日は彼が企画した「新春お雑煮大食い大会」の主催日。
企画までの経緯は、ハジメが大晦日に正月用の餅をついていて、単純作業の楽しさに年甲斐もなく杵を振り回し、ヒートアップしてこの企画に至ったという笑い話からの始まりであった。
その産物である大量の伸し餅達はお雑煮の中に投入されるのを今か今かと(?)と縁側で待っている。
この餅がどこまで減るかは、企画に挙手をした六名の強者な男女のみが知る話。
さてはて、どうなることやら? 始まり始まり。
■選手入場?
開催場所である縁側に一番乗りをしたのはリュミヌー。腰まで届くほど長い髪が歩調に合わせリズミカルに揺れ動く。彼女はハジメの傍まで来ると、斜めに傾けたエンジェルリングの下から艶やかな微笑みを浮かべ挨拶をする。
「明けましておめでとうございます。お正月ってお店閉まってるし、自分でおせちとか作るの面倒なので、実はこの企画大助かりなのですよ。いっぱい食べて帰りますから覚悟してくださいね〜!」
「あい、あけましておめでとうございます。どうぞ楽しんでくださいませね」
身体のラインに沿った衣装のリュミヌーを前に目のやり場に困るハジメ。そうと気付いたのか、やや悪戯な視線を軽く投げると駄目押しとばかりに彼女は、押し込めた大きく形良い胸をむんっと張りだす。それを見たハジメは更に困った表情を浮かべる。年の初めからこんなにもセクシーショットを見せられドギマギするとは思っても見てなかったらしい。
彼の慌て振りに満足したのかリュミヌーは席に着くやいなや、お雑煮に手を伸ばし、あっという間に数杯完食。凄い食欲である。
「フッ‥‥あけましておめでとうございます。永遠の十七歳、セレスフィアは今年も元気です」
大輪の薔薇が描かれた着物を纏い現れたのは耽美な青年セレスフィア。その腕に大きめの籐籠が下げられ、中に入った赤、白、黄、ピンクと色彩と香り豊かな薔薇の花弁を空に撒いていく。ヒラヒラと舞い落ちる中を優雅に歩き縁側へ腰を下ろした。彼の通り過ぎた後は色が溢れ、貧相な花ばかりの冬の庭が一気に艶やかになった。
セレスフィアは黒い髪を掻き上げ、何故か薔薇を一本、横にくわえたままお雑煮を一気に凄い勢いで平らげてしまった。その器用さにも驚きである。
「フッ、まだまだ食べたりませんね。お餅は腹持ちがいいので、昔はよく保存食にして食べてたものです‥‥さて、それはどうでもいいとしておかわりおかわり☆ まだまだ食べますよ〜♪」
新たに追加。それに負ずリュミヌーも手を伸ばす。
「おかわりいただきますねー☆ 私なんていうか‥‥堪え性が足りなくって、いっつもがっついちゃうんですよね‥‥だからすぐおなか一杯になっちゃうので心配です」
あっけらかんと言い放しつつ、凄まじい早さでお雑煮が消えていった。
勢いよく椀を重ねる二人の給仕に没頭するハジメ。そこへいつの間にか訪れたクラソバッツがおっとりと声を掛ける。
「明けましておめでとうございます。期間中お世話になりますゆえ、よろしくお願い致しますな。‥‥サイトーさんってば、割烹着姿がエライ素敵ですねぇ」
「あい、おめでとうございます。気付かずに申し訳ありませなんだ‥‥ぬ? 似合いますかのぅ、あな嬉や」
血色の薄い真っ白な肌と右頬に描かれた赤い文様の所為か、やや冷たい印象を与えてしまう彼。しかし美しい銀色の瞳と口元に浮かぶ穏やかな表情で中和され、その美がよく引き立たれている。そんな彼はハジメの格好と鍋一杯の雑煮を興味深げに見ていた。
「雑煮は各家庭ごとに具材が違ったりするので、他所のを食すのが結構楽しみだったりです」
「えぇ、色々とあるようでござるのぅ。杯が進めば飽きると思うので、言うてくだされば色々と作るでござる。どうぞ、遠慮なく申してくださいまし」
ハジメから渡されたお料理レピシ本『お雑煮百選』に、クラソバッツはつい没頭してしまう。その間も休むことなく杯を重ねるリュミヌーとセレスフィア。多少お腹が脹れてきたらしく、
「さて、そろそろお餅もいいけど、お節もね☆ です」
「おかわりー☆ うふふっモリモリ食べますよー。座ってるだけで料理が出てくるなんて‥‥う〜ん素敵です。この一杯食べ終わったらお酒を頂きましょうか。美味しい料理にお、さ、け」
セレスフィアは椀を重ねながらも合間にお節をつつきだし、リュミヌーもなんとも幸せそうに微笑む。そんな二人にようやくクラソバッソはここに来た本来の理由を思い出した。
「あや‥‥? 眺めるのに没頭して、食す手が留守でありましたな。うーん、これは沢山あって目移りしてしまいますねぇ。迷う迷う。最初の椀は、さっぱりとしょうゆ仕立てが良いっすな。入れて頂くお餅は軽く焼いていただいて香ばしく。では、改めまして頂きます」
いそいそと席に着き、出されたお雑煮の椀と勧められた出汁巻きたまごをもぐもぐと頬張りながら、
「セレスフィアさん‥‥今の華麗な姿とは異なる過去を持ち、薔薇と共に随分と長い時をお過ごしになられているようで」
「昔っからバラの人ではなかったのですか‥‥?」
「間に合った? 間に合った? ふぅー。あけおめこれよろ。‥‥省略するのが流行りらしい。さぁ〜て正月の癖に普段着を着てきたのはこの為。頂きます〜!」
リュミヌーも食べている合間を縫って会話に加わるが、転がる勢いで乱入してきた忍者服の洸雅の挨拶に気圧され一同、言葉を止める。
なかでもハジメは流行の短縮挨拶を聞き取れず「桶読め」と意味不明な解釈で覆面の下は困惑顔。
そんな事に気に留めない洸雅は元気良く、戴きます! の挨拶するやいなや、雑煮を一気にかき込み餅を飲み込んだ。一息ついたところで言葉を紡ぎ先ほどの会話へ戻しに掛かる。
「‥‥もしかして結構、苦労人さんでしょうか?」
「あぁ、どうやら皆さん勘違いなさってしまったようですね。ボクはずっと昔から薔薇の騎士ですし、苦労人でもありません。ただ、数千ね‥‥。いやいや、数年前に夜食用に餅を保存して食べてたってだけですよ♪」
セレスフィアは薔薇を咥えなおし微笑むと皆の疑問に優雅に答える。納得顔の三人をヨソにハジメは未だ略語の解釈を考え悩んでいた。なんともワンテンポ、いやそれ以上に遅い男だ。
そんなハジメに洸雅がこっそりと耳打ち。ここでハジメの覆面の下がようやく納得顔とあいなった。
「ほう、そういう意味でござったか。いやはや洸雅殿は流石、お若い」
「いえいえ、流行の省略言葉は実は教えて貰うまで何を言ってるか分からなかった。俺こそ歳だな。え? 若い? 見た目に反しない様に脳も鍛えよう。あ、けど僕は数百年‥‥げほげほっ、十七年しか生きてないですよ。さっきセレスフィアさん数千年と聞こえたのだけど、空耳? あ! まだまだ食べ足りないからドンドン持ってきてくれぇ〜」
「っふ、洸雅さん。長い時だなんて。せいぜい数百ま……うぅん。まだたった十七年しか生きてませんよ。僕は。あぁ皆さん、ペースが上がってきているようです。ボクも頑張らなくてはいけませんね☆」
洸雅の実年齢と容姿の年齢の懸け離れにさらに驚くハジメ。龍の種族らしい長寿を誇る彼ならではだ。だが、その驚きに慌ててサバを読みだす洸雅。
だがそれに負けないほどの大サバを読むセレスフィア。咳払いをしながら見た目年齢をさらりと言い、誤魔化すようにお雑煮へ没頭し始めた。
「ところで、洸雅さんはいつも忍者服が、普段着なのでありますか? 少々、羨ましいですな‥‥正月ですから着物に憧れますが、こういうナリなので和服が似合わぬのですよねぇ」
クラソバッツは自分の服装を見回し、切なげに溜め息ひとつ。確かにお正月なれば着物の方が見目が良い。しかし西洋的な彼の容姿にその冒険は少しばかり難しいと考えているらしい。寂しい気持ちを暖かいお雑煮で隠すようにひと息入れながら、だて巻きと交互にはむはむと噛みしめる。
「ぜひ、着てみましょう!」
そんな寂しげなクラソバッツの言葉に洸雅は自前で持ってきていた着物を取り出すと、勢いよく手を引き、奥の間へ。数分後、濃紺の着物姿となって現れた。洸雅の着付けで粋に帯を締めた彼はなかなかお似合いだ。
「綺麗な着物が着れました〜」
「良ぅ、似合っておりますよ。クラソバッツ殿」
嬉しそうにクルクル回るその姿をハジメも見て微笑む。もっとも覆面で隠されているので無表情に近いが。
「おお、さすがに洸雅さは着付けには手馴れておりますな〜。帯は緩めでお願いします、きついと餅が入りませぬ故。では再度じっくりお出汁を味わいつつ、はむはむ‥‥んまい」
クラソバッツはまたも箸を進めていった。そこにか細い声。
「正月など何? ってほど普通の格好で失礼致します。あぁ、良い香りが漂ってきますね。美味しそうです」
「ようこそ、ミスティウス殿。お待ちしておりました。ささ駆け付けなんとやらでござるよ」
薄紫の霧と見間違うショールを掛けたミスティウスがハジメに促され、庭を抜けるとリュミヌーの隣に腰掛け栗きんとんをつつきながら、出されたお雑煮を啜った。
「ん〜出汁が決め手ですねー。あら、リュミヌーさんお酒ですか? 私も一杯頂いてよろしいでしょうか? 甘党ですがお酒は別腹です」
「んふぅ‥‥ミスティウスさまも飲みますぅ? うふふふ…いっぱいお酌してあげちゃいますね。ふぅっ美味しい‥‥うふふ、お酒に料理。堪りませんねぇ〜〜。あらんハジメさまもお運びしていないで、一杯どうぞぉ」
「おとっとw ではリュミヌー様、ご返杯ですの」
酒は別腹とは、なかなか豪胆なミスティウスに雑煮を肴に酒を煽るリュミヌーは嬉しげに酌をしだす。その頬は赤らみ瞳は潤みがましていた。普段の色気に更なる香が増す。ミスティウスの杯に酒を注ぐと、今度はハジメの手に杯を持たせ酌をする。しかしその手元が危うい。ミスティウスが素速く銚子を彼女の手から取るとリュミヌーの杯に注いだ。
「うふふっこんな美人さんにお酌までしてもらっちゃって〜最高のお正月ですわ‥‥うふふふ‥‥んん、ちょっと…暑くなってきたし眠くなってきちゃいましたの‥‥」
「おっと‥‥。だ、大丈夫でござるか? リュミヌー殿。些か酔いが回っているようでござる」
「んふーっ、うふふふ‥‥酔っ払って、温かいお雑煮食べてぇ〜こんな美人さんにお酌までしてもらっちゃって〜〜最高のお正月です‥‥うふふふ‥‥んん? ちょっと眠くなってきちゃいましたぁ〜」
「あら、美人さんに美人さんと言われると照れます。‥‥えーと、いえ‥‥酔ってますね、リュミヌーさんあらら、駄目ですよ〜そんなところで寝たら風邪を引きます」
割烹着のポケットから扇子を取りだし、ハジメはミスティウスにもたれ掛かったリュミヌーの赤い顔を扇いだ。それでも赤みは収まらず、瞳はとろりと眠さでとろけそうになりだす。
ハジメはこれはどうしたモノかと思ったが、すぐに奥の座敷に入り布団を用意した。その間、残った方々が自分達でお雑煮を注ぎモグモグ食している。
「フフッ、ちょっと休憩を。だて巻き好きなんですよ〜、早速、頂きます♪ 気付いたらボクの食べたお雑煮の量が一番多いようですね‥‥ふふ、休憩を終えたらまたお雑煮に戻って、このままトップを維持していきますよ☆」
「いやいや、そうはさせないよ! セレスフィアさん、俺だってまだまだ入る。‥‥家に帰っても余りご飯を食べたく無いんで‥‥アギがおっちょこちょいなのに料理作るから。もうね‥‥ここで膨れさせてから帰りたいかと思ってるんだ」
「兄さ〜ん♪ 見つけたっ! 僕の作ったお雑煮も食べずに何処に行ったのかなって探しちゃったじゃない」
「ん!? あ、アギ‥‥」
にっこりと微笑みながら箸休めに入るセレスフィアのやや挑発的な言葉に洸雅が躍起になる。といっても、家でご飯を食べたくないと言う彼と同居人との間にある小さな確執もつい、口を滑らせポツリと呟いてしまった。そこに運悪く弟君、アギは裏戸を開けて縁側に近付く。その顔はニッコリと笑顔が貼り付いているが内心はそうでもないらしい。
そう洸雅は、彼の作る料理、お節&お雑煮から逃げ回っていたのだ。
『酷いよ兄さん‥‥もし僕のお雑煮食べてくれないなら家壊しちゃ‥‥』
兄にしか解らない弟の心の声を捕らえた洸雅。もの凄い汗を掻きながら首をブンブンと横に振る。
「待て待て待て‥‥分かった! 今から食べてやるから、だからもう少し‥‥」
「は、や、く!!」
そんな兄の様子を全く気にしないアギは洸雅の着物の襟首を掴むとズルズルと引き摺って行いってしまった。
「は、ハジメさんのお雑煮いぃぃぃ〜〜」
「‥‥」
怒濤のように繰り広げられた洸雅の一時退室を誰も止めることは出来きずただ見送るだけであった。
「ふぅ‥‥なんだか凄かったですね‥‥あぁ。うかつにもだて巻きばかり食べててお雑煮を忘れてました。さて、まだまだ食べますよ〜っ今度は昆布巻きもね☆ おや? 二種類あるのですね、では両方欲しいですね。と、ちゃんとお雑煮を食べるのも忘れてませんよ」
「では、それを肴に一杯どうぞ。セレスフィアさん」
「良いですね〜クラソバッツさん、では一杯、頂だきます」
呆気にとられてはいたがすぐさま気を取り直して、モグモグ口を動かし始めるセレスフィア。クラソバッツは箸を休め、酒を飲み始め隣の彼にも促す。だて巻きと鮭とニシンの昆布巻きを肴に飲み始める二人。
「ハジメ様? ‥‥お庭が賑やかですが、何をなさっておいでですの? あら‥‥皆様。明けましておめでとうございます」
「これはこれは、相生殿、おはよう。そして明けましておめでとうでござる。お雑煮大会でござるよ、よかったらこっちに来て、お食べなさい」
最後の出場者である相生が奥の座敷から青い晴れ着を纏い、綺麗に纏め上げられた黒髪姿で現れた。顔に二筋、帯のように垂らされた髪によりその表情は隠され解りにくい。
ハジメに促されるまま席に着くと用意されたお雑煮をゆっくり食べ出す。
「まあ、よく伸びて美味しいお餅です事。‥‥毎日作って頂きたいですわ」
「あはは、貴女が望むなら幾らでも。しかし毎日、餅ばかり食ろうたら、ふくよかになってしまうのぅ。そうだ、忘れておった汁粉もあるでござる。よかったらどうかのぅ?」
「なんて憎らしい言葉を言われるのです‥‥嫌なハジメ様。え? 甘いものもございますの? まぁ頂きますわ」
ハジメの言葉に気分を害した相生はぷいっとそっぽを向くが次の言葉にすぐ機嫌が直った。なんとも切り返しの早い娘である。
そんな賑やかに雰囲気に包まれる中、そろそろこの大会も終わりに近付いてきていた。
■エピローグ
和室に敷かれた布団にころりんと横になりながらリュミヌーは嬉しげに縁側に向かって手を振る。
「んっふっふ〜ハジメさま、‥‥お布団、お借りしますね‥‥あは、ミスティウスさまも良かったら一緒に寝ますぅ? うふっ冗談‥‥です‥‥よぉ〜くかー」
「い、一緒にですか? いえ‥‥あら? 寝てしまわれたのですね‥‥。何とも寝付きのよいお方。ハジメ様、美味しいお雑煮に御節をありがとうございました。私も折角なので羊羹を頂きます」
目元が赤く酔いの覚めない彼女はミスティウスの手を引き布団に押し込もうとしたが、突然の睡魔に負けてぱたりと寝てしまう。
その顔を優しげな意味を浮かべ覗きこんだミスティウスは、掴まれた手をそっと外しハジメに挨拶をすると、お節に入っている紅白の羊羹と食べ始める。
「私も存分に美味しい雑煮とお節を頂けて、楽しい正月でありました。綺麗な着物も着れましたしな。‥‥えへへー、折角なのでデザートに羊羹を頂きます」
「どうも、楽しくそして美味しくイベントに参加させて頂きました。再度自己紹介を薔薇の騎士セレスフィアです。主催のサイトーさん。参加者の皆さん、お疲れ様でした〜」
念願の着物が着られて嬉しかったクラソバッツは席を立つと微笑みながらくるりと一回り。そしてミスティウスと共に羊羹を食べ始めた。
続いてセレスフィアが、ことりと丼を置き口元を優雅にハンカチで拭うと新たに薔薇を咥え一礼。
「いえいえ、楽しんで頂けて何よりでござった。まだお節が残っておりますのでどうぞ最後まで楽しんでくださいませな」
覆面の下からにこやかに締めの挨拶をするハジメ。そこにヨロヨロと吐き気を堪えながら戻ってきた洸雅。
「ちょっと今は‥‥食べられそうに‥‥ウプ‥‥」
「だ、大丈夫でござるか? 洸雅殿、これをどうぞ」
テーブルに置いてあった酒の入った杯を差し出す。
「忝ないハジメ殿、そうだ、家から持ってきたこれを飲みませんか?」
洸雅は手にした紅舞をハジメの前に掲げ揺すった。酒が嫌いではないハジメはにっこり笑う。
「あ〜、美味しいお雑煮が沢山食べられて満足です」
洸雅もようやく立ち直り、差し出された二つ杯に酒を注ぎ満足と共に飲み干した。