だいぶ暮らしになれてきた。
 相変わらず人と付き合うのは苦手なのは変わらないが、それなりに暮らしている。
 散策中。
 犬の仔が道端に佇んでいた。母の死骸の横に坐る生後半年も満たないだろう仔が一匹。
 もう死んで数日は経過している母犬は蛆が湧き、無惨な姿を晒していた。仔はその横にじっと坐っている。
 誰ともなく手を伸ばすが、仔犬は意地でもあるように小さく唸り、鼻にしわを寄せて側に寄せ付けない。
 そんな取り巻きの横を通り過ぎた。

 数日後。
 まだそこに佇んでいる仔の姿があった。
 先日と違い誰も相手にはしていない。母犬の死骸は誰か片づけたのだろうか無くなっていた。
 しかし仔はそこにいる。母のいたへこんでいる草のその脇に小さく坐っている。
「‥‥」
 つい、からかいたくなり仔犬の側にしゃがむ。一人前にも小さく唸り声を上げている。
 鼻に皺を寄せ短い毛を一杯に逆立て、威嚇していた。
 ぴん! と小さな鼻を弾くと、目をぱちくりさせ、豆鉄砲を食らったように怯んだが、ぷるんと頭を一振り更に声を荒げた。
「う゛っう゛〜〜」 (構うな、向こうへ行け)
 ぴん!
 再度鼻頭を弾く。仔犬は痛いだろうにだが逃げもせず威嚇している。
 その目は前に立つ者を拒むかのように見据えていた。
「その仔犬なら構うだけ無駄ですよ、叔父さん。全然なつかないんですから」
「‥‥」
 一人の青年が話し掛けてきた。話し方で振り返らずとも分かる。青い髪に眼鏡をかけた青年。知り合いの少女の友人である。
 顔を向ける事せずに黙って聞いていた。
「数日前も他の人が連れて行ったけど、噛まれたり引っ掻かれたりと、酷い目にあったと言ってたなぁ、本当になつかないみたいですよ〜〜」
「‥‥」
 青年は背を向けたままを別に咎める訳でなく、のんびりとした口調で話す。
 ふと母犬が片付けられた事に合点がいった。仔犬が貰われた間に片づけられたのだ。
 この場所を離れたがらない仔犬の気持ちとは裏腹に、臍曲がりな性格がウズウズと頭をもたげた。
 ひょいっと抱き上げ歩き出す。
 仔犬は慌てて噛みついてくるが、こんなちびに噛まれるぐらいは痛みなどない。
「あれれ? 叔父さん飼うの? その犬」
「あぁ、なんか欲しくなったから。では御免」
 青年に会釈ひとつして、その場を後にした。素っ気ない態度はいつもの事と納得しているのだろう、にっこり笑って手を振ってくれた。
 腕に抱いた仔犬は腕・指を問わず噛みつき逃れようと暴れる。そのつど尻を叩いてくれた。
 負けじと噛みつき、お互いそれが嫌になる頃、家の門をくぐった。
「さて‥‥」
 薄汚れた仔犬を座敷に上げるわけにはいかず井戸の水を掛けた。仔犬は冷たさに身をちぢこめ、恨みがましい目を向け小さく唸る。
 構わず幾度か掛けると大人しくなった。手拭いで拭き上げ、薪の入った釜戸の傍にやる。
 餌を即席だがこしらえて与えてはみたものの案の定、口にしないどころか巧い具合に鼻先でひっくり返す。
「‥‥」
 膝に乗せ無理に口をこじ開けこぼした餌を放りこむが、吐き出して着物を汚した。
 どうやら、とことん逆らいたいらしい。
「‥‥」
「がう! ばぅ」(元の場所に置いてこいよ)
 唸り噛みつく仕草。大した仔犬だ。押入の奥にしまってあったボロを与えて、放りこむ。
 朝に居なくなっていれば、それ仕方ない事とそのまま床についた。
 朝。
 起きていたのだろう。ボロの中でじっと坐ってこちらを伺っている。仔犬に背を向け朝の身支度。
 なにやら根気合戦のようだ。それならそれでよい。引く気は無い。

 意地の張り合い三日目の早朝。
 身支度を整え、七回目の餌の皿を目の前に置くが相変わらずの態度だ。
決して口を付けない。
 何気なしに仔犬を抱き上げた。暴れることは辞めたらしいが睨みつけている。
可愛気のない仔犬だ。
ふんと、鼻を鳴らしたかと思うと、次に湯気の立つ暖かいモノが着物を濡らす。
「‥‥」
「がぅがぅ」(へ〜んだ) 
 目の前に犬の股が来た。これで性別が判明。雌だ。雌犬には思えないほど気骨な奴。
 名は決まった。【総三郎】男名前であるが合っている。犬をボロの中に放り込む。
 仔犬、総三郎は悪びれた様子もなくボロの中にいる。どうだと言わんばかりの顔をして。
「ばぅがう」(はやく置きに行けよ)
 ぴん!
 鼻先を弾いて着物を着替えるため奥に下がる。
 戻ると、こちらを見上げなにやら言いたげに顔を眺められた。
「ふん、俺からは捨てはせん。自分から出るなら、そうすればよい」
茶を入れ朝の一服。
 言葉を理解しているのかは不可解だが、その日から仔犬――総三郎は、餌を食べだした。
 別段、可愛がるわけでもないが、ただ一緒にいる。
 それだけでよいモノだろう。